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参考文献 : 佐伯町の文化財
【石見津和野石だたみ道(津和野街道)(市指定史跡)】廿日市市栗栖観音原 MAP:2A中央
津和野街道は、佐伯エリア栗栖から山に入り、悪谷、
中道を横切って生山峠に至る約7kmの道です。廿日市市から島根県鹿足郡津和野町を結ぶ要衝として、 参勤交代や津和野藩の特産である和紙を廿日市の専用港に運ぶ道として利用されました。 国道30号線より186号線へ合流する道を少し入った場所には、 雨水で道がいたむのを防ぐため敷いた石だたみが残されており、 古く津和野街道の名残を偲ばせるこの道は、佐伯の史跡石見津和野路石だたみ道とし、 昭和41年に指定されています。 また、県道294号線から293号線へ抜ける道が中国自然歩道として整備されています。
【上田宗箇岩船の水(市指定史跡)】
廿日市市浅原字本郷 MAP:3B左上
元和6(1620)年11月、茶人であり、
浅野藩の客分の家老でもあった上田宗箇が浅原に隠棲して茶三昧の暮らしを送った際、
茶を点てるのに使用した銘水で、
今も変わらず清冽な水が枯れることなく湧き出ています。庵の跡は「いもがたお」の高台にあったとされていますが、国道の敷地となって、 惜しくも滅失しています。 昭和40年、市の史跡に指定され、毎年11月下旬には宗箇まつりが開かれます。 上田宗箇(1563-1650)について
千利休や古田織部に学んだ、400年の歴史を持つ武門ノ茶、茶道宗箇流の開祖です。
桃山時代を代表する作庭家としても有名で、 国の名勝の縮景園(広島市)と粉河寺庭園(和歌山県)、徳島城千秋閣庭園、 名古屋城二ノ丸庭園、和歌山城西の丸庭園などが知られています。 豊臣秀吉の寵愛を受けましたが、大坂夏の陣以後、 広島藩主となる浅野長晟と共に広島に入り、家老職をつとめました。
【安井家母屋(市指定重文)】廿日市市浅原1426 MAP:3A右上
江戸時代後期、文化年間(1804〜1818年)に建築されたといわれる、
桁行9間(16.36m)梁間5間(9.1m)、木造、茅葺、寄棟造りの江戸時代本百姓の居宅で、
内部外部ともにほぼ当時のまま保存され、当時の様子を知る貴重な建物です。
【教覚寺山門(市指定重文)】廿日市市津田花上 MAP:2B中上
元禄元年(1688)の建築になる永泉山教覚寺の山門は、
桁行2間(3.6m)梁間1.5間(2.7m)の瀟洒な木造建築で、
創建以来300年近い年月をしのいで立っています。鐘楼は桃山様式といわれ、禅宗寺院の形式に近く、 栃木県稲田の禅房の門と同じ様式といわれています。
【紙本墨書 小田家文書 三巻(県指定重要文化財)】MAP:1C中下厳島社領玖島郷の刀祢であった小田家に伝えられていた古文書です。 永久3(1115)年以来、江戸時代にかけての土地関係の文書91通を三巻に仕立てたもので、 貴重な中世文書として、県の重要文化財となっています。 文書の所有は小田家から元廿日市町長、佐伯好郎博士の手に移りましたが、昭和27、8年ごろ、 玖島村に寄付され、後に佐伯町が引き継ぎ、現在に至っています。
【勁操園(市指定名勝)】廿日市市玖島字泉水 MAP:1C中下
明治28(1895)年、旧玖島村の八田家が築造した庭園で「八田公園」とも呼ばれています。
東西110m、南北43m、面積約2,300m2の中に山水をあしらい、
借景に大峰山を配した規模の大きな庭園です。中央には学校開設や道路補修、架橋など、地域の公益に尽くした豪農、 八田新七の記念碑が建立されています。
【八田家長屋門・米蔵(市指定史跡)】廿日市市玖島4363 MAP:1C中下
文政10(1827)年の建築の長屋門と米蔵は、八田新七の時代、
広島市辺りまで拡大した所有地をもち、
その資産は一県に値するほどであったと伝えられる八田家のものです。特に米蔵は梁間4間(7.73m)桁行き10間(19.15m)総二階造りの大規模なもので、 当時の大地主ぶりがうかがえる貴重なもので、 門柱には明治4年9月の武一騒動の際ついたといわれる傷跡があります。 【長州戦争古戦場津田槙ヶ峠】廿日市市津田 別府
慶応2年(1866)4月、長州征伐の軍を起こした徳川幕府を迎えるべく、長州軍は亀尾川、
浅原を経て津田に侵入、駐屯し、この槙が峠に台場を構築していましたが、6月20日、玖島、
峠方面に配備された幕軍宮津藩兵300人に急襲され、激闘の末、敗走しました。近くには、遺棄された長州軍の戦死者を葬る墓石が里人の手によって建てられています。
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