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参考文献 : 佐伯町の文化財
【上川上の六地蔵像】
廿日市市玖島地蔵堂 MAP:1B右下
六地蔵像は、文明16(1480)年建立された地蔵堂の、長さ263mmと242mm、幅88mm、
厚さ44mmの二列に並べられた台座に安置されている、彩色がほどこされた木造地蔵立像六体で、
室町時代中期の作と伝えられています。地蔵堂はその後寛文4(1664)年、文明5(1785)年、 他一度(年不詳)改築された形跡が残っています。堂にはその他、 元禄15年の製作になる木造達磨像一体と、木造阿弥陀如来像(製作年不明)一体があり、 当初一本であった台座を後年阿弥陀如来像か達磨像を収めた際、切断し、 二列に並べたものであると言われています。
【帯掛明神と重なり岩】MAP:2B左上岩倉温泉上流の県道沿いにある、大もみじ、栂、高野槙などに囲まれた重なり岩は、 縦横高さ共に約2mの花崗岩2つが1m足らずで接して重なり合っています。 昔市岐姫命が乳飲み子を背負い、出雲から厳島までを旅する途中、ここで休み、 岩に帯を掛けたことから「帯掛岩」とされ、市岐姫命を祀り帯掛明神としました。 この岩には昔、大地震で下の路に落ちた際も、 参勤交代で通りかかった殿様が危険であるとして上から落とした際も、 翌日には元の位置に戻っていたという伝説が残っています。
【十王堂(市指定史跡)】
廿日市市津田十王堂 MAP:2B中央
往古、官道石見津和野路は、廿日市から津田を経て津和野に至っていましたが、
津田十王堂はその中間の宿駅として知られていました。お堂はもともと現天野医院の前あたり、石見路往還の北側にありましたが、県道拡張のため、 西福寺のそばに移されました。 【十王とは】
冥府で人の生前の罪を裁く、秦廣王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、 泰山王、平等王、都市王、五道転輪王の十人の裁判官の総称です。 結界として、宿場には十王堂が置かれたようです。
【生山峠のお地蔵さん】MAP:2A左中羅漢山ののところどころに見られる石地蔵は、旧中道小学校附近から始まり、 四国の札所になぞらえて、頂上までの間に88体あるといわれ、 地蔵さんのひとつひとつに番号がふってあります。 これは、昭和6〜7年頃、中道の人の発起と寄付によって据えられたと言われています。
【水洗い地蔵】廿日市市飯山MAP:1A中下
正式には浄行菩薩といい、法華経にも出てくる釈迦の直弟子四菩薩の1人で、
水徳でもって体の苦患を洗い清めるとされていますが、お地蔵さんに水を掛け、
手でなでると諸病を治すといわれています。特に患部にあたる部分をなでると効果があります。 後には薬師如来、馬頭観音、不動明王像が控えています。
【大明庵(市指定重文)】MAP:2A中央
「中道に佐伯崎所広兼という翁ありその子孫に慶雲和尚が誕生、諸国遍歴の後中道に帰り、
大明庵という庵を結ぶ延暦23(804)年中道の災厄に遇い、村人の庵穏息災を祈祷のため、
大明山の麓に穴を掘り村人の別れを告げ定に入る。大同2(807)年67日で声も絶え、
77日で遺言のとおり定の口を閉ざし久左衛門は扉にありしままを記した」とあります。この庵の本尊は慶雲和尚手彫りの仏像と伝えらています。 大明庵由来記より(旧佐伯町重要文化財)
【崎所神社】MAP:2A中央佐伯崎所広兼の子孫は大内抱領の神官を務め、その18代後、 佐伯六星合陸(ほしやろく)と言う人物が安芸の国伊都岐島(厳島)平清盛公につかえますが、 石見国吉賀郷東条ふきの里に誕生した龍馬の生んだ馬をめぐる争いで佐伯を追われ、 明(美和町阿賀)宇佐(錦町)へと落ち、その馬が宇佐山(小五郎)の頂上より、 下河津原(六日市町)の川へ飛び、一命を絶ちます。 後にその時の国主大内氏の御下文を給て「大明神崎所宮」として、中道、河津、 阿賀の三ヶ所に建立されたものです。 その後中道村の人々には厚く信仰されていました。 崎所大明神由来記の概略
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